グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札

ケリーは語る。「出発の日、船は霧に包まれていたせいか、

まるで自分がどこか知らないところに連れていかれる気がしました」

●今回ご紹介の船が出てくる映画

GRACE OF MONACO

2014年公開 アメリカ映画 


●あらすじ

ハリウッド女優だったグレース・ケリーは、モナコ公国レーニエ3世に見初められ、結婚。公妃となるため女優業を引退した。「世紀の結婚式」から6年経った1962年、2人の子どもに恵まれながらも、いまだにモナコ宮殿のしきたりに馴染めずにいた。政府要人の集まるパーティーで、フランス大統領の側近に政治批判をぶつけるケリー。パーティ後、夫から「思ったままを口にするな」と怒られ、口論になってしまう。 そんな時、アルジェリアの独立戦争で戦費が必要になったフランスが、無税の国モナコに移転したフランス企業から税金を徴収して支払うよう要求してきた。承諾しなければ「モナコをフランス領にする」という。これをきっかけに、次々と理不尽な要求をつきつけるフランスに、なす術もないモナコ公国。戦争になれば軍隊もない小国モナコは一瞬で占領されてしまう。公国の存亡の危機を前に、ケリーは、自分にしかできない秘策を考え出す。


●ここに注目!

「グレース・ケリー」を演じられる女優がいるかどうかが、この映画の命を握っていたと言えるだろう。グウィネス・パルトロウ、リース・ウィザースプーンなど、いずれもケリー同様の金髪美人たちの名前が候補に挙がっては消えていく。主役がなかなか決まらない監督のもとに、売り込みに来たのがニコール・キッドマンだった。こうして45歳ニコール・キッドマンが33歳のケリーを演じることになった。

本作品の撮影のために、グレース・ケリーが所有していた5つのジュエリーを、モナコ公国の同意の下、カルティエのアトリエで完璧に複製する。ロケも公国の協力を得て順調に撮影も進んでいたが、出来上がってみれば、まさかのモナコ公国内の上映拒否。ケリーの夫である大公が悪者すぎる!というのが理由のよう。このニュースは瞬く間に世界に広がり、映画とモナコ公国観光の良い宣伝になった。


●ここに船が登場!

モノクロ映像でロイヤルウェディングの様子が映る。実際のニュースの映像とアナウンサーのトークに、当時の大フィーバーぶりがうかがえる。ケリーが花嫁渡航で使ったのが、「コンスティテューション」号。1956年4月4日、ニューヨーク84埠頭を出港。「出発の日、船は霧に包まれていたせいか、まるで自分がどこか知らないところに連れていかれる気がしました」とケリーは後に語っている。海に近いニューヨークでは霧が発生しやすいのだ。この日も朝から雨が降っていた。

公国モナコへの渡航に船を選んだのは、ケリー自身だったと言われる。花よけ渡航直前まで映画撮影で多忙を極めたケリー。結婚前に女優でもないプリンセスでもない、ただ一人の娘ケリーとしての時間が欲しかったのだろう。

「コンスティテューション」号は1951年6月に竣工。ケリーが20歳の駆け出しの頃に宣伝写真のモデルを務めたことがある、縁深い船だ。イタリア・ラインなど の激しい競争の結果、 勝ち得たのが「コンス ティテューション」号 だった。予約で満員だ った4月4日の乗船客 を多数他船に移し、ケ リーの家族親戚友人な ど結婚式参列者90人に1等とキャビンクラスの客室を提供。報道陣や一般客も乗せて、8日間の旅が始まった。「コンスティテューション」号は、ニューヨークからイタリアへの外航定期船なので、モナコへは臨時寄港となる。モナコ港外に到着すると、レーニエ3世の船「レオ・ジュバンテ」号が歓迎の船とともに近づき、ケリーと愛犬オリバーを乗せ換えて公国へとエスコートした。

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クルーズ映画ライター あいさわみき が 船が出てくる映画を気ままにコツコツ書きまとめています。 船の映画 船が出てくる映画 船が舞台の映画 船が登場する映画 あらこんなところに船が!という作品に出会うと、最高にハッピーです。 なので、ハッピーのおすそ分け、それがこのサイトのコンセプトです。