1915年、P&O船で祖国インド・ムンバイへ戻ってきたガンジー。
インドの布一枚の姿で、「非暴力・不服従」の運動が始まった。
今回ご紹介の「船が出てくる映画」
GANDHI 1982年 インド、イギリス映画
●あらすじ
1948年1月30日、インド・ニューデリーで一人の男が殺された。その男の名前はガンジー。一人の私人として生き、死んでいった。富も財産も肩書きも持たずに。祖国に自由をもたらした一人の男性の、その人生の起点とも言える、1893年の南アフリカから物語は始まる。 イギリスの植民地であり、有色人種に対する人種差別政策が行われていた1893年の南アフリカ。列車の一等車に乗っていたイギリス領インド人の青年弁護士が、被差別人種である有色人種であるがゆえに三等車に移るように白人の係員に指示されたものの、それを拒否したために列車から放り出された。それが若き日のガンディーであった。イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。南アフリカでインド系移民の差別に対する権利回復運動に立ち上がったガンジーは1915年、46歳の時に同じくイギリスの植民地だった祖国インドへ船で戻ってくる。
●注目!
インド独立運動の指導者“偉大なる魂”マハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯の映画化。
動員したエキストラは30万人を超え、1つの映画作品に動員したエキストラの最多記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定された。
●ここに船!
1915年インド・ムンバイの港で、儀仗隊が歓迎の演奏を行っているシーンに船が登場する。船から陸にかけられた白い階段に、P&Oと書かれている。ちなみに、P&Oとは、(ピーアンドオー、Peninsular and Oriental Steam Navigation Company、ペニンシュラ アンド オリエンタル スチーム ナビゲーション カンパニー)。イギリスの船舶会社である。ダイヤモンド・プリンセス号の会社だと言えば、分かりやすいだろう。 1914に当時イギリス最大の海運会社であったブリティッシュ・インディア・スチーム・ナビゲーション・カンパニー(British India Steam Navigation Company)を買収した直後で、企業として拡大傾向で、つまりイケイケの頃。 また、儀仗(ぎじょう)とは、儀礼のために用いられる武器・武具のことなので、この演奏を行っているのは、日本で言えば自衛隊が行っているようなものだ。 乗客のこんなセリフがある。「南アフリカで評判いなったインド人がこの船に乗っている」、つまりガンジーがこの船に乗って、インドに到着したシーンだ。「洋服は嫌いですか?」という記者の質問に、「囚人と同じ服装で痛いから」と答えるガンジー。民衆の大歓迎の拍手の中、スピーチが行われる。「今、戻りました」と感謝の言葉。国民的英雄的な扱いに戸惑い気味のガンジーは街の貧困な様子に心痛める。みんなが知っているインド独立の父ガンジーの始まりのシーンと言ってもいい大事な場面だ。
ムンバイ港には石造りの門がある。インド門と呼ばれるこの門は1911年にイギリス国王ジョージ5世のインド訪問を記念して建てられたもので、街のシンボルだ。その頃、インドを訪れる者はすべて船便で、ムンバイは文字通りインドの玄関口、正門であった。また、製作される映画の本数が多いことで知られるインドの中でも中心になっているので、ハリウッドをもじって「ボリウッド」と呼ばれている。
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